はごだで

おそらく、我が故郷、津軽地方の、ほとんどの小学校の修学旅行は、函館である。

僕の時は、1982年は、まだ青函連絡船があって、それが、それで行くのが当たり前であった。

今よりもっと、なんも知らなかったあの頃の僕の中の北海道、五所川原の中三デパートの北海道物産展の、ひとかけらが板チョコ半分くらいの大きさの、一枚にすればどんだげ大きいんだべ?畳ぐらいあるんでね?っていうくらいでかくて分厚い、ランダムに乱暴に割られたホワイトチョコレート、が、ずっぱど入った、ずしっと重いビニールの袋。

コーラもアイスもキミ(とうもろこし)も人間も牛も馬も猫も犬もなにもかもでっかいらしいって噂の北海道に行くって、まるでアメリカにでも行くような気持ちであったんだ。

青函連絡船に乗り込む手前の連結部みたいな所の自動販売機に、普段飲んでるコカコーラの倍くらい太くてパンパンに膨らんだ350ccのコカコーラやスプライトが並んでいて、ほら!やっぱりでっけーや!って騒いだりして、、あれ、うちが青森でもだいぶ田舎の方だったからだけな気もする、、けど、いちいち興奮した。

つか、あれまだ全然青森だ。

船乗る前だもん。

けどすげぐ、興奮した。

真っ黒で、右も左もわからない、先の見えない海は、どこまでもビニールで覆われてるみたいでおっかなくて、でもなんか面白くて、ずーっと見てて、、吐いた。

吐いて、泣きそうだったけど、泣いてたかもしれないけど、イルカが何頭も何十頭も、船の横、伴走するみたいに飛んで、跳ねてて、みんな、感動してあった。

あずましいようなあずましくないような三等客室の緑のじゅうたん、と海とイルカ、コカコーラ、四時間半くらい、着いてもまだ、なにもかもでかい幻想、冷めやらず、似てるのになんか違う、なんかかっこいい景色の先、トラピスチヌ修道院は、静かで清潔で、どことなくおっかない感じがした。

のは、当時流行ってたノストラダムスの大予言やファティマの大予言や岩崎宏美の聖母たちのララバイのメロディやらが自分の中で混沌と入り混じり、世も末じゃー、みたいな、終末観みたいのが、自分の中でパンパンに膨れあがってしまった、はんでだべがね。

やっぱりでっけーんだ、北海道は。

あの中に、めーもの、綺麗なもの、んでないもの、気持ちっこ、パンパンに詰まってるんだ。

吐いたのもおっかないのも忘れて、試供品のバター飴いっぱい食べて、白くない生っぽいやつの方、友達に強くすすめたりして、ちゃんと買いもしましたよ。

青森帰っても、しばらくは食ってあった。

夜景は、雲出てて、期待出来ない雰囲気だったんだけど、写真撮影するってなったら、ぱーって雲無くなって、この世のものでないみたいに綺麗であった。

うそでない。
ホントだよ。


その函館で、人前で、歌う日が来るなんて、流石に、想いもしなかったな。

嬉しいな。